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会社とは何か?「社内コミュニケーションの目的(2)」

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前回は、社内コミュニケーションの機能、役割などにいつて、つまり”社内コミ”は、単なる意思疎通や相互理解のためだけではなく、そのコミュニケーションで何かをやり遂げるという『目的』を持っているという「切り口」で考えてみました。うまくクロージング出来たあなたのその「仕事」も言葉を変えれば、その成功のもとは、コミュニケーションの成功と言っても過言ではない無い筈です。

今日は、”相手の話をまず”傾聴する”と云う様な皆様よくご存知のことには触れませんが、コミュニケーションが成立して、目的を達成するためには、いかにして自分の〈考えや思い〉を伝えるかという点についてお話してみたいと思います。まず、コミュニケーションの手段はコトバ、紙ベース、PC経由等々色々ありますがここでは、スペースの関係上、主として口頭に限ってお話します。手段が口頭であれば、意思の媒体はコトバです。日本であれば特別の例を除いて、日本語が使われる訳ですが、これが意外と問題なのです。一般的に赤ん坊は、1歳半位から母親にしか分からないような片言から話し始めて、遅くても3歳半くらいまでには話せるようになりますから、日本国であれば全員が日本語で通じると思うのが人情です。私も今から十数年まえの講演セミナーで人前で話し始めた頃は、こちらの思うことを伝えることは、こんなにも難しいいことなのかということを思い知りました。勿論、私の伝える力の脆弱さもあったと思いますが、何よりもコトバは思ったほどには相手には伝わらないということでした。

勿論、「話す力」があるように、失礼ながら「聞く力」もありましょうが、それ以前にことばの「解釈」が人それぞれで異なることが一つです。例えば、童謡で、”夕焼け小焼の赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か”というのがありますが、これは童謡ですが、これを会話として話した場合、この負われてみたのはの”負う”=”おんぶされて”と解釈すべきところを”追われる”=”追いかけられる”解釈してしまいますと、もう後はちんぷんかんぷんになります。まして、この場合、主語は”自分”なのですが、”赤とんぼ”としてしまったらもうめちゃくちゃの文意になって、この人何言っているか分からない!と言うことになります。これは「この夕焼け小焼けの空に舞う赤とんぼを(誰かに)おんぶされて見たっけな、あれはいつの日だろう?」というような解釈だったと私は思いますが・・・

実際に、つまり言いたいことは、コトバの力に頼り過ぎないことです。正しく伝わらないかも知れない。未だよく理解されていないかもしれない。で正解と思います。

専門の分野では、「意味の括りつけ」と云う人もいますが、極端な例で説明しますと、「りんご」を(ミカン)と覚えている人がいたらコミュニケーションは自分では成立したと思っても実際は相手は全く異なった意味合いで受け取ることもあるということになります。或る、歴史上の偉人が言っていますが、『コトバの意味は、話した側の言葉にあるのではなく、相手の頭の中にある』と、なんと含蓄のある名言でしょうか。

会社のチーム内のミーテイングで良く周知したつもりでも不徹底事項が出たり、お客様によく説明したにも拘らず確認の電話が入る等の現象は、”伝えたもり” ”伝わったつもり” がもたらす現象と言えます。相手は自分流の解釈をするかもしれないということを念頭に置きたいものです。それを防ぐには、コミュニケーションの原点である双方向(interactive)を常に意識したコミュニケーションを心掛けることをお奨めします。演説やラジオ放送のように一方通行のようなニュケーション手段は相手の「理解度を推し量る」ことが出ませんし、分かって貰いたいのでしょうがそれを「確認」することは困難です。ですから、時々、話しながら相手の頭のなかに有る解釈を確認することが重要です。「ここまでよろしいでしょうか?ここまででご不明な点は?」などと話します。また、「ここまでは、これこれこう云うことについてお話しました。要約しと・・・」云々と誘導して、相手の理解度を確認しつつ話を進めることが後々のトラブルの回避につながると思います。

以前、ある訪問先企業の総務部門での出来事です。担当者同士の会話内容が「LED照明がどうのこうのと」社内のLED球のことらしく、一人の方は、「LEDが点かない=点灯しない」、見てきたらしいもう一人の方は、あそこの照明器具も先日、蛍光灯からLED変えたばかりで、ちゃんと(LED器具は)付いている。」第三者の私だけが、咬み合わない二人の会話の意味合いが分かったところで、確かに「意味は相手の頭の中にある」と納得したのでした。