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会社とは何か?「コトバの力と無力さ」

 

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                             街中にある春浅い公園                    

最近の国会中継は、映画やドラマよりも面白い、と言ったら叱られるだろうか。

面白いと言っているのは、その場のやり取りは、当たり前といえば当たり前であるが、全てコトバを介して行われていることです。

このコトバは、唯一無二の人間だけに与えられた意思伝達の手段・技術であることは言うまでもありません。

勿論、手話やパントマイムによっても意思伝達は可能ですが、この場は、日頃のビジネスシーンを念頭に置きますから、コトバについて、「その力と無力さ」について触れることにします。

国会などのやり取りを聞いていると、果たして、相手(聞き手側)の理解を得ようとしているかどうか疑りたくなるような、分かりずらい、意味不明のコトバの羅列の様な答弁のものから、流暢とは言えないが、言わんとすることが自ずと伝わってくる答弁もあります。

 話し手から放たれた一定の意味や意図を込めたコトバも、話し手の口から放たれて、聞き手の耳から脳に入ったところで、初め解釈されて相手の言わんとす意図や意味を知ることになります。

これは国会等の場だけでなく、家庭内や会社、友達関係においても、およそコミュニケーションを要する場において、あてはまる”公式”です。

 ここで、問題になるのが、コトバは万能ではなく、単語一つの意味においても、コトバの受け手によってその解釈を巡り、違いが出ることを知り置く必要があると思います。

「そんなつもりで言っていない」、「そんな風に受け取っていたのか」、「分かってもらえると思ったのに全然違うことを・・・」etcは日常的によくあることです。

つまり発信者の意図とは、関係なくコトバの意味合いは、「受け手の解釈が優先」するという事実です。

例えば、「りんご」と言う言葉を発した時に、聞き手の頭の中で浮かんだものが「みかん」であった場合はもうその場のコミュニケーションは成立しません。

これは極端な例ですが、実際のコミュニケーションではよくある話なのです。

話し手は、自分の言葉に込めた意味を確信していますが、受け手の方は、果たして発信者の意図する意味通に受け取ったかはどうかは、不明確と言わざるを得ません。

自分のコトバに自信がある人ほどは、その豊富な語彙を駆使して、言葉の力ので相手をねじ伏せようとしますが、いかんせん、相手(聞き手側)が完全に理解することを求めるのは不可能でしょう。

相手には、語彙力の問題、理解力の問題、知りたくないことは知ろうとしない脳の働き、相手に対する印象の問題、端から聞く気がないときなど、発信者は、多くを期待できません。

私は、これらのことを社員研修などで身をもって経験しましたが、いくら、事例を挙げ、条理を尽くして説明しても、伝わらないときは伝わりません。

(私のコミニュケーション能力の問題もありますが・・・・・。)

 

何故か、それは、私の言い放った「言葉の意味」は「相手の頭の中にある」からに他ならないからです。

相手が、「りんご」を「みかん」と思っている人に「りんご」をテーマにしたコミュニケーションはもう成立しません。

だからと言って、「どうせ半分も伝わらない」からではなく、「何とか半分だけでも伝わるように」と心掛けることが重要です。

今話していることは、どれだけ、相手に伝わっているか、つまり相手の「理解度」を確認しながらコミュニケーションすることは重要なポイントと思います。

 

ついでですが、籠池さん関連の国会のやり取りで気になることがありました。

昭恵さん付きの谷さんという秘書のファクスが開示され、その中の一文に、「本件、昭恵夫人にも【報告】済みです。」という箇所がありましたが、この「報告」というコトバの使い方と意味合いは、国も民間も意味合いは一つです。

上司の「指示」に対して、その指示にもとづき如何に取り計らったか、その内容や結果を上げることを「報告」と言います。

谷さんが、昭恵さん(上司)の指示も待たずに、一人称で(自分勝手に)能動的に籠池さん側の要請を関連部局へ照会し、その結果を事後、昭恵さんに上げるということは有ったとしてもそれを「報告」とは言いません。

何故かと言うと、その場合は、「事後報告」ということになり、単に「報告」というコトバは使えません。

 

時季的に、各企業は「新入社員研修」がたけなわですが、〈指示と報告〉は対であると教えなければならないと思います。

だから、回覧文書の添え文に、”以下のおり、社長から「報告」がありました””など書くのは大きな誤りです。

(実際に、かってある企業の総務部門でたまたま見かけた回覧文書に、”社長から別添のとおり報告かあリましたので・・・・”を見てびっくりしたことがありました。)

「報告」は、自分よりも上位職者に対するもので、その部下は「上司から報告があった」などとは社内で使ってはならないのです。

野党も、与党が「昭恵さんは関与していない」と言っても、ここに「昭恵さんに報告」とあるじゃないですか、指示がないのに報告はないでしょうと、何で追求しなかったのか。

やっぱり「指示と報告」はセットということを、若い時に教わっていない方が国会にも多いのかなと思いました。