「リーダーシップ」 について
よくあの人は、リーダーシップが「ある・ない」と言う話を耳にします。また、これに関する書籍も本屋さんの ビジネス本の棚には、いろいろな方が書いています。
読んでみると、どれも著者の視点から独自のリーダー論が展開されていて大変興味深いテーマであることは 異論を挟みません。
かつてGE社を率いてその実績から全米経営者の注目と尊敬を集めたジャック・ウエルチ元GE社CEOも自社のマネージャーを、すでに 1980年代にリーダーという呼称に切り替えて呼んでいたことは知られています。また、世界でも最も多くの、マネジメント本を書いたあのP・F・ドラッ カーも、同時期にマネージャーという呼称をやめエグゼクティブという言葉を使い出しました。
前回のブログでも触れましたが、マネージャーという呼称からは、いかにも「現行のレベル」の管理というイメージが強いことは否めません。そこで、現 状を打破し強力な改革を行っていた当時のウエルチはマネージャーと言う呼称に違和感を覚えたであろうことは想像に固くありません。
「決められたことを、決められたとおりに日々やっている」だけでは「決められた線の内側」に留まっているだけで、今の時代を決して生きのびては行けないでしょう。勿論、これで済ますことの出来る仕事の人もいますが、リーダーはそうは行きません。
自社にとっての目標、方向性、ドメインなどを明確にし、目標達成に向けての道筋なども示さなくてはならないリーダーは孤独で困難な仕事です。
それだけではなく、リーダーには一定の権威も必要でしょう。いくら正しいと思われることを云われても、尊敬に値しない、人間性などに問題のあるよう なリーダーには、部下は表面的には従っても内心では従っていないことも考えられます。ポストの力だけでは人は動かしきれません。それはよくいう「面従腹背」という言葉に言い表されます。
これまでの多くの「リーダーシップ研究」によれば、いくつかのタイプにリーダーは分類されるとか、その素養は、持って生まれた先天的なものであるといったり、いやいやリーダーとしての力は、自らが身につけてゆくべきものなど様々な見解が示されています。
しかし、実際に優れたリーダーを目の当たりにすると、共通した現象が確認できます。それは、その組織の大切にしている理念が保たれ、人々がよく動いているということに集約できます。
どの様な立派な目標や方針を提示しても、実際に組織の人々がよく動いていない組織は、当該リーダーのリーダーシップがよ く発揮されいるとは言い難いでしょう。
リーダーは、自らのリーダーシップの「ある・なし」は、部下を見て自己の示した基準・原則を守りつつ「部下はよく動いているか否か」を見れば一定の判定材料になり得るでしょう。